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このテクストは、黒川弘毅氏自身の手によってさまざまな時期に書かれた文章やコメント等を素材にMasataka Hayakawa Galleryが編集し、「彫刻論」「作品についてのコメント」の二つの観点から、断章形式でまとめたものです。


Kurokawa on Kurokawa

1. 彫刻論

彫刻は量塊が始まるところから始められなければならない。量塊は所与のものとしてではなしに、人間の能力の産物として作られる必要がある。(a)

「私が彫刻を始めたときに一番最初にあったのが"彫刻の危機"で、実際に彫刻作品は不可能な時代じゃないのかといった自分の認識があったわけです。もの派の出現によって、ある種の解体が生じていて、そして彫刻自体がかなり危機的な状況に追いやられていたのではないか。(...)日本において、僕が大学を卒業した前後の、もの派のエピゴーネンが画廊のどこへ行ってもあるような状況のなかで、"彫刻の再構築"が量塊の再生としてはっきり意識されたんです。」(b)

人間によって解放されるべきものがある。そのものは、それ自身の感知のできなさから自らを隔てる為に、そして自分自身を見る為に、人間の手を必要としている。人間の手によって、自らに親密なものとしてそれ自身を形成し、その主体となることができる。(...)こうして産み出されたものが形象である。(c)

物質の変容を端緒とし、形象の産出によって完了するまでの過程が彫刻の源初をなしている。物質が形象を帯びることが彫刻の原初的完成である。(c)

形象の可視性は触覚の領域で感覚の質料を集結する核となり、痛みが組織される。(c)

触覚を物体の表面に向けられた感覚と見なすのは誤りである。(...)触覚による経験はまったく個的なものでありながら、それが私秘されない限り、それらの経験の質は他者に対する絆として働く。それが人間が自らの身体において感じる痛みの形式と等しいから。(a)

(...)この痛みによって起動した過程がいかなるものであれ、その感覚的内容が持つ共同性の様式は、身体的な痛みの場合と等しい。すなわち痛みによって起動した結果形成された外在的な対象は、世界が存在することの自明性とは別の自明性、まったく個的でありながら個的であることによって協同的であるかのような自明性を持っている。(c)

痛みは可視性の強度であって、それは手仕事の駆動力となる。(c)

手仕事は人間に向けられた語りかけとしてある。それは<人間にとって完全に外的なもの>の働きかけなくしては成り立たない。(a)

手仕事の過程は時間的には可逆的であって、そこに見出すものは未来からやってくるが、見出されるものは自らを過去のものとして示す。手仕事は、無際限なものを、人間にとって未来であるところの諸々の過去と「現在」において一致させる。すなわち、自ら魂を与えるものとなって、未知であるところの本来の運命を作り出す。(d)

彫刻はそもそも、最初の製作者の人格を起源とし、製作者の特殊な手のはたらきによって作り出されたものであるにもかかわらず、どのようにして理念的客観性へと到達するのだろうか。

こうした問いかけは、彫刻が幾何学の認識と共通する質から発していることを気付かせるものである。幾何学がこの質によって、人間の世界に、調和ではなく、同一性の基礎を与えるのに対し、彫刻はこの質によって人間の共同性を秤量するものとなる。すなわち、個別的なものに起源を持つものにおいてしか人間の精神的共同性はありえないという点において、イデアルなもの、彫刻における記念碑性が計測されるのだ。(e)

記念碑性とは形象の可視性がどれほど人間の精神的共同性としてあるのかを示す質である。この形象の可視性における共同性を"造形物の公共性"と混同してはならない。(...)記念碑性は素材の恒久性や物体のスケールが作り出すものではない。(...)彫刻を他の立体的な造形物から分け隔てているものこそ、この記念碑性、すなわち人間の精神的共同性の質としてあるところの形象の可能性に他ならない。(c)

彫刻というアイティムはこの記念碑性がどれほど物質的なものでしかないかを示す任務を負っている。(c)

彫刻は、宇宙の欠陥に位置を占めてその裂け目となり、世界を産出する。製作者として私を作りながら、私から作られ、そのことを忘却して残留する。

彫刻は、部分ごとに瞬間の悦び(パルス)を記憶して連続し、部分ごとに数々の混沌(カオス)を内面化して、部分ごとに視点を持った一つのものとなり、全体は部分に開かれる。(f)

見たいと熱望するものをついには実際に見ること。幻影は、受動的に与えられるのではなく、見いだす者が持つ視力の能動性−見ることの可能性の確実さ−そのもの。それは、見いだす者がこれから見いだされるものに対してもつ隷属を秤る。この隷属のはかない掟が、<美しいかたち>を出現させ続ける働き、すなわち質を作る。質によって、<見いだされるもの>が見る者を見いだす者として生み続け、同時に、<見いだされるもの>が見いだす者の中で生まれ続ける。(g)


出典一覧:

  1. 第20回彫刻ビエンナーレカタログ(1989年/ベルギー アントワープ ミデルハイム野外彫刻美術館)
  2. シンポジウム<メダルド・ロッソをめぐって>(1989年3月28日)の鼎談における発言、鎌倉画廊によるカタログ同名カタログ所収
  3. 「本源的諸問題」(1988年12月/なびす画廊)
  4. 「象通信 7号」(1985年)
  5. 「コンスタン・ブランク−シ(彫刻におけるイデアルなものについて)」(『美術手帳』1991年2月号所収)
  6. 黒川弘毅展カタログ(2000年1月14日〜2月12日/ギャラリー GAN)
  7. 黒川弘毅展 スパルトイシリーズ カタログ(2002年2月22日〜3月23日/ギャラリー GAN)