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このテクストは、黒川弘毅氏自身の手によってさまざまな時期に書かれた文章やコメント等を素材にMasataka Hayakawa Galleryが編集し、「彫刻論」「作品についてのコメント」の二つの観点から、断章形式でまとめたものです。


Kurokawa on Kurokawa

2. 作品に関するコメント

私の作品において、"原型(モデル)はなく鋳型(モールド)だけがあること"このことは強調してし過ぎることはない。私の作品の六つのシリーズ、<シリウス><ヘカテ><ベンヌバ−ド>、鋳型すら持たない<スパルトイ>、そして<ゴーレム><ムーンフィッシュ>のすべてが、自身の量塊に先行する原型(モデル)を持たない。

木や石とは異なり、ブロンズはその具体的な量塊を人為的に作り出す必要がある。木や石はあらかじめ個体(ソリッド)として存在しているのに対し、ブロンズは個体を形成することからはじめなければならない。(i)

ハリネズミ、ヘカテ、ベンヌバードの3つのシリーズの彫刻は1つの作品群をなす。これらの作品はどれも2つの異なる部分を持っている。グラインダーで削られた部分と黒い部分である。

黒い部分は、鋳型の上部まで満たされた溶けた金属が、空気と接触しながら急速に冷却することによって生じる。ここは彫刻が最初に形成された時点で外部にさらされた唯一の部分であり、本来このものにとっては外部である。(...)私はこの場所を「裸体」と名づけている。

彫刻の外観を決定し、形態を特徴づけているのはもう1つの場所、グラインダーで削られた部分である。ここは鋳型の内部に形づくられ、鋳型の内側に接した表面をグラインダーで完全に消されている。(...)私はこの場所を「舌」と名づけている。

「裸体」は大気を有する重力圏での金属の凝固を示す痕跡であるが、「舌」の形状の方向性に対する「裸体」の面の方向性は、「舌」の2次元の要素に根底的な3次元性を与えている。また「裸体」は、これらの作品が、一起に一体で形成され、別個のものをつなぎ合わせたものではないこと、すなわち作品の単一性というロケイションのもう1つの重大な事実を示している。

ハリネズミはSIRIUSの副題を持ち、全く単純な分岐状を示す。最も源初的なシリーズで、ヘカテとベンヌバードはハリネズミから派生している。ハリネズミというタイトルはグリムの童話から採られており、形態上の類同ばかりでなく、童話の骨子である"区別し難い2匹のハリネズミ"の主題に基づいている。(...)統合=二重化がハリネズミの構造である。

ヘカテは1つのものが二重化されたり2つのものが統合されているのではなく、単に分化する形態である。ヘカテと名付けられた理由は、三ツ又をその基本要素とし、その重複によって作品が形成されていることによる。それは鹿の角状をしている。"三岐路(みつまた)のヘカテ" Hekate trioditis。ヘカテはアルテミスの地獄の姿。そしてアクタイオーンの頭上でのヘカテの顕現。

ベンヌバードのベンヌは不死鳥のエジプトでの呼び名。トトー神の聖鳥であるイビス、あるいはギリシャのカビレーンにおけるペラルゴス。神の使者であるそれらの"鳥"は人々に密儀を伝授する。副題のMerkabah(メルカバ)はヘブライ語で"天の車"を意味する。このシリーズの作品は一様に環状の形態を有しているが、構造的には複数のタイプがあり、主題の諸段階がある。

〈Spartoiシリーズ〉

テーベの建国神話でカドモスが龍の牙を大地に播くと、土の中から戦士が現れる。スパルトイとは"播かれた者たち"の謂。種子、精子を意味するSpermaと同根の語。龍の牙から顕れた戦士とその末裔であるテーベの人々を指す。

土の中に播かれたブロンズの溶湯は、自らの重量によって土を押退け、己を凝結させる。こうして得られる鋳塊(ingot)は不定形なものである。ジスクグラインダーによる彫刻の作業は、手を加える以前の鋳塊の不定形性から、量塊を解放し、ブロンズの純正な質料のうちに、対象の持つ固有性をゆるぎないものとすること、個々の顔と人格を持った戦士を得ることなのだ。

この仕事の意味は、量塊がその発生において、それ自身の固有性として持つ形を、彫刻の作業において引き出すことにある。鋳塊からは、決して任意ではない特定の形が生み出される。それゆえ、このシリーズの作品の特徴は形の必然性にある。

〈Golemシリーズ〉

このシリーズで探索されているのは、不確定な形態、決定的な形をとる手前の宙吊りの姿である。ここでは形態の完成ははじめから目的とされてはいない。しかしここにはある種の完了があるのであって、感知すると同時の形成の動きがなるべく純粋に留保されるようにはかられている。

スパルトイシリーズが必然的な形に向かったとすれば、これはその反対側へ向いている。(j)


出典一覧:

  1. 埼玉県立近代美術館ニュース [ソカロ] No.35(1991年5月発行)
  2. 「作品に関するコメント」(1991年5月/なびす画廊)